きこりの森林・林業の教科書


③生活を守る森林って何?

概要 森林の機能 保安林制度 治山 生活を守る樹木 流木対策
保安林の種類
補助金申請
導入の必要性
治山技術
肥料木
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耐風性
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コラム
六甲山の話(破壊と再生と破壊の歴史)
 兵庫県神戸市、芦屋市、西宮にまたがる六甲山は、長い間、石材採掘、薪炭の過伐、肥料になる下層植生の搾取、家畜の放牧などで荒れ果てており、明治14年(1881年)に、植物学者の牧野富太郎は、「瀬戸内海の海上から六甲山の禿げ山を見てびっくりした。初めは雪が積もっているかと思った」と随想「東京への初旅」を記載しているほどでした。

 六甲山は、花崗岩で出来ているため、物理的風化で“まさ土”が生成され、雨による侵蝕、崩壊が起きやすい地形でした。このため、文献によれば、延暦18年(799年)から明治元年(1868年)までの1000年近い間に38回もの洪水が記録されており、約30年に1度の割合で記録に残る大きな災害が発生してきた歴史があります。このように、森林の荒廃は、長い歴史を有していたため、大量の土砂が平地に流れ込んだため、湊川、住吉川、芦屋川、夙川、石屋川など天井川が多数あります。

 六甲山のある神戸市は、県庁所在地でもあり、明治になってからの30年間で人口が6倍にもなり、生活用水の不足が発生します。それまでは伏流水を利用した井戸水でしたが、コレラなどの病気の蔓延もあり、水道水へ移行します。水道用の貯水池を設けるのですが、周囲は禿げ山であるため、ダムへの土砂流入を抑制する必要がありました。この様な事情により、本格的な治山工事が始まります。国が直接行う工事、県が行う工事、そして地元の市が行う工事と工事の難易度、土地所有者毎で役割を分担しながら進めました。

 岩肌を階段状に削り、客土をしながら緑化を行います。痩せ地でも育つ松や、肥料木となるヤシャブシをヘクタール100,000本の規格で植えました。また、地元経済にも役立つ目的で、木蝋の原料になるハゼノキや、薬の原料になるクスノキを植えた地域もあります。植生回復が難しい部落有林などの共有林を市が直接買い取り、神戸市の事業として植林した場所もあります。

 すぐに森に戻るわけではありませんので、地道な植林活動を続けます。1980年代でも、都市近郊林としてハイキングを楽しむ人たちに、種を配って山に播いて貰う活動を行う等、様々な取り組みが行われた結果、高木が育ち、落葉広葉樹から、本来の植生である照葉樹が戻ってきました。
この中で、植栽されて成長した黒松の20年生は、成林したとのことで盗伐にあうなど、順調に成林していったわけではありません。松の根は、燃料(松根油)になるため、掘り出されるのです。証拠隠滅のための山火事もあったそうです。

 植生が回復していく中、昭和13年(1938年)7月の大水害によって、616名の人的被害の他、鉄道道路の交通網の途絶が起こり、社会的影響の大きかった。この結果、日本の社会全体に治山・砂防事業の必要性を認識させることになります。
 
 また、経済の発展とともに、神戸市は都市化が進み、平野が少ないことから、六甲山の傾斜地において住宅地の開発が進みます。殆ど無許可に山麓を宅地化した結果、昭和36年(1961年)の豪雨で大規模な被害を出します。実は、前年に神戸市独自の条例として、傾斜地での宅地造成に歯止めをかける「傾斜地における土木工事の規制に関する条例」を作るのですが、罰則規定がありませんでした。この失敗を教訓に、国は昭和37年(1962年)に「宅地造成等規制法」を作り、災害防止の観点から土地開発のあり方を国民に示すことになりました。さらに、すでにある急傾斜地での被害を軽減するために、昭和42年(1967年)の災害で、自然斜面を含む山麓で土砂崩れが発生するのですが、民地であるため、費用の面もあり、なかなか復旧できませんでした。この2年後に、「急傾斜地の崩壊による災害の防止に関する法律」が施工されます。これは、個人の土地ではあるが、公的な予算を使って、復旧工事や防災工事を行うための根拠となる法律です。この様に、六甲山での災害が、日本の防災行政に大きな影響を与えてきました。

 その一方で、時間の経過とともに、植物が繁茂し、森林が目に見えるようになってきました。しかし、管理をしていなかったため、植栽された陽樹の中から、照葉樹が繁茂し始めると、林床に日光が届かなくなり、下層植生がなくなり、土壌剥き出しの状態になってしまった。林床植物があったときは、土砂流亡を抑制していたが、林床植物がなくなり、真っ暗な地面になったことで、土砂流亡が再び発生することになってしまったのです。このため、適度な間伐によって林床植生を豊富にする必要があるが、道がないため、現場までは歩くしかないという状況となっている。植栽時に、管理のための作業道を設けていれば、この様な事態を避けることが可能であったと思われるが、当時は、そこまで考えが回らなかったのです。結果、良くない森林の状況になりつつあります。禿げ山を復旧するには、その後の管理のことも念頭に、作業道の作設を忘れないようにする必要があります。

ニセアカシアの扱い(外来樹種の功罪)
 治山工事を行うべき箇所は、自然環境が厳しいなどの理由でなかなか植生が回復しなかった場所があります。この場合、外来樹種を導入して、出来るだけ早く緑化を行う傾向があります。日本では、貧栄養な土壌条件下で、1873年に米国のニセアカシア(Robinia pseudoacacia)を導入しました。結果、在来樹種では出来なかった緑化に成功します。
 また、昭和30年代(1960年)は、飼料木としても注目され、牧場に植えられたほか、治山用、薪炭用、用材、蜜源用、街路樹など多様な使われ方が出来、救国樹と呼ばれていました。
 しかし、植栽木が生育し、成林になると、殆ど関心を持たなくなり、放置される時代になります。気がつけば、アレロパシーの効果で、他の植物を寄せ付けない事態になります。林床に光が入るように伐採すれば、そこから萌芽更新するだけでなく、根萌芽もあるため、駆除が難しい事態となります。
他の植物の生息域を奪う。窒素固定によって土壌を豊かにし、元々の生態系の基盤を破壊する。河川内に繁茂することで、洪水時に流量の妨げになり、洪水被害を拡大する。根が浅いため、洪水時に流木となり、橋や建物などの構造物に被害を与える。リンゴ炭疽病を介するため、リンゴやナシに被害を与える。トゲが痛い。等々の理由もあり、環境省の駆除対象外来生物になってしまいました。
 しかし、なかなか駆除が難しい実態があります。このニセアカシアの駆除の難しさ、浅根性等は、導入時から知られていたことでしたが、選択肢のない状況で採用してきたのです。時代の変化とともに、救国樹から迷惑木になってしまいました。外来樹種の導入は、短期的には良い結果を得られても、管理を怠ると想定外の事態を招く結果になるという事例です。

 失業者対策としての治山・砂防事業
 第一次世界大戦後、世界的な不況の波は、日本の経済も深刻な状況に追い込みました。さらに、農作物価格の暴落と、都市部での失業=出稼ぎの帰村がおこり、農村に多くの失業者が溢れる結果になります。この時、農村振興ということで、公共土木を通じて農民に就労させ、それで得た賃金を元手に自力更生させることを目的に、治山・砂防事業が行われます。事業費の2割程度が材料費であり、事業地は国有地や公有地であることが多いため、土地買収にかかる費用は発生せず、残りが人件費になります。山村農民の救済に最適な事業とされました。
 日本の治山・砂防事業が発展した背景には、この様な経済危機の中、限られた財政の中で失業者対策として取り組んできた結果でもあります。
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