きこりの森林・林業の教科書
⑩木材を使おう

はじめに 木材の構造と材質 加工と利用 木造建築 木質環境 林産物 紙・パルプ 新素材 木材取引 メモ
【木材取引】
木材のデューディリジェンス(Due Diligence)とは
 デューディリジェンスとは、「当然支払われるの努力」「相当な注意義務」を意味します。このため、木材に対するデューディリジェンスでは、「違法でないことを確実にするための確認や調査」を意味します。

木材・木製品の合法性に関する環境・社会リスクは、
「材料である木材の生産(森林管理・経営・施業)から流通・加工、売買、輸出手続きなど、全ての段階での違法行為の発生する可能性」

リスク一覧
分類 事例
伐採 過伐
盗伐
許可証偽造・不正利用
禁止区域・禁伐樹種の伐採
先住民族などの権利侵害
売買 輸送・加工許可書の偽造・不正利用
数値改竄
違法伐採木の混入
輸出 書類の偽造・不正利用
数値改竄


分類 事例
情報収集 (1)樹種の確認(商品名、ローカル名、学名の確認)
(2)伐採国・伐採地域
(3)サプライヤー(トレーサビリティの確認)

欧州:EU木材法では、合法性の基準として、5項目(・伐採に関する権利、・伐採に関する税金等の支払い、・生物多様性や自然環境の保全、・土地や林産物の利用等に関する第三者の権利、・貿易及び関税)を定めて、適応する法律の範囲を定めている。

日本:グリーンウッド法
 全ての事業者に合法伐採木材の利用を奨励。登録制度への登録を呼びかける程度。
リスク評価 国際条約等で取引が規制されているかどうか(IUCNのレッドリスト、CITESワシントン条約)
伐採国・地域リスク(世銀の世界ガバナンス指標、腐敗認知指数(CPI)、シーソングハブ(NEPCon)、グローバルフォレストレジストリー(FSC)等)
サプライチェーンのマッピング(地図化)
トレーサビリティ(追跡可能性)の有無
リスク緩和
リスク軽減
サプライチェーンの厳密な確認(書類審査、現地調査)
調達材の見直し
サプライヤーの変更




木場(東京木材)情報
 東京の木材市場は、慶安~承応~明暦年間(1650年)頃に、日本橋周辺(今の東京駅近辺)に、木材業者を江戸幕府の政策の一環で作ったことが始まりでした。しかし、世界三大大火の一つである明暦の大火が、明暦3年(1657年)に起こります。その後の火災の繰り返しを経て、赤穂浪士討ち入りの前の年、元禄14年(1701年)に深川の木場に移転します。
 深川の木場が栄えたのは、木材の運送が川や運河を利用した国産材が主流だったからです。
昭和30年代後半(1960年代)までは、深川で栄えますが、高度経済成長に伴い、外国材の輸入増加、交通渋滞、そして得地盤沈下に対応するため、昭和47~49年(1972~74年)に、3回に分けて、夢の島に移転します。ちなみに、14号埋め立て地のことです。
 この他の理由として、風水害で木材が流出して深川周囲の住宅地に被害が出るのも防ぐ意味がありました。
 この次に、15号埋め立て地に輸入米材、製材品の荷揚げ埠頭として利用が始まります。木材の荷揚げが川から海に移った=国産材から輸入材に移行します。
 新しい木場と言うことで新木場が誕生します。

 一時は、企業数約300,112万平方メートルの土地、48万平方メートルの水面貯木場を持ち、日本一の規模を誇っていた。当初は、北洋材、南洋材とも丸太で輸入していたため、製材工場が多くあったが、製材輸入が増えるにつれ、減少し、0になった。また、米栂製材品は静岡の清水や広島に持って行かれ、北洋製材は日本海外に流れていったため、途中からは南洋材の製材扱いとなります。
 ちなみに、製材関係の組合数は、昭和46年がピークで109工場あったと言われている。新木場に移行するに当たり、工場設備の合理化を図って、生産能力を3割増やした。しかし、昭和48年(1973年)の狂乱物価の後、公定歩合の大幅引き上げによって不況に突入した。

公定歩合
昭和47年12月 4.25
昭和48年3月 4.25
昭和48年4月 5.00
昭和48年5月 5.50
昭和48年6月 5.50
昭和48年7月 6.00
昭和48年8月 7.00
昭和48年11月 7.00
昭和48年12月 9.00
昭和50年3月 9.00
昭和50年4月 8.50

機械設備への投資が難しい中、南洋材の乱伐により、伐採適木が無くなってきたこと、奥地に進むにつれ、コストがかかるなどで、丸太不足となり、昭和55年頃から南洋材の地挽業者が廃業し始めた。その結果、工場の設備機材は分解され、現地に運ばれた。







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