きこりの森林・林業の教科書


⑩木材を使おう
 

木材の性質 乾燥技術 木材加工 生活の中の木 日本家屋と寺社仏閣 林産物の規格 木材取引 新素材
木材乾燥の変遷 燃料革命 昔の大型木造建築
木炭 今の大型木造建築


【木材利用の意義】
・木材は安心、安全な素材
・国産材の利用は、国内の森林整備を促進
・国産材の利用は、黒土保全に貢献
・木材の利用は、地球温暖化防止に貢献
・次代を担う子供達の情緒や健康に良い影響を与える等、教育的効果が高い
木場(東京木材)情報
 東京の木材市場は、慶安~承応~明暦年間(1650年)頃に、日本橋周辺(今の東京駅近辺)に、木材業者を江戸幕府の政策の一環で作ったことが始まりでした。しかし、世界三大大火の一つである明暦の大火が、明暦3年(1657年)に起こります。その後の火災の繰り返しを経て、赤穂浪士討ち入りの前の年、元禄14年(1701年)に深川の木場に移転します。
 深川の木場が栄えたのは、木材の運送が川や運河を利用した国産材が主流だったからです。
昭和30年代後半(1960年代)までは、深川で栄えますが、高度経済成長に伴い、外国材の輸入増加、交通渋滞、そして得地盤沈下に対応するため、昭和47~49年(1972~74年)に、3回に分けて、夢の島に移転します。ちなみに、14号埋め立て地のことです。
 この他の理由として、風水害で木材が流出して深川周囲の住宅地に被害が出るのも防ぐ意味がありました。
 この次に、15号埋め立て地に輸入米材、製材品の荷揚げ埠頭として利用が始まります。木材の荷揚げが川から海に移った=国産材から輸入材に移行します。
 新しい木場と言うことで新木場が誕生します。

 一時は、企業数約300,112万平方メートルの土地、48万平方メートルの水面貯木場を持ち、日本一の規模を誇っていた。当初は、北洋材、南洋材とも丸太で輸入していたため、製材工場が多くあったが、製材輸入が増えるにつれ、減少し、0になった。また、米栂製材品は静岡の清水や広島に持って行かれ、北洋製材は日本海外に流れていったため、途中からは南洋材の製材扱いとなります。
 ちなみに、製材関係の組合数は、昭和46年がピークで109工場あったと言われている。新木場に移行するに当たり、工場設備の合理化を図って、生産能力を3割増やした。しかし、昭和48年(1973年)の狂乱物価の後、公定歩合の大幅引き上げによって不況に突入した。

公定歩合
昭和47年12月 4.25
昭和48年3月 4.25
昭和48年4月 5.00
昭和48年5月 5.50
昭和48年6月 5.50
昭和48年7月 6.00
昭和48年8月 7.00
昭和48年11月 7.00
昭和48年12月 9.00
昭和50年3月 9.00
昭和50年4月 8.50

機械設備への投資が難しい中、南洋材の乱伐により、伐採適木が無くなってきたこと、奥地に進むにつれ、コストがかかるなどで、丸太不足となり、昭和55年頃から南洋材の地挽業者が廃業し始めた。その結果、工場の設備機材は分解され、現地に運ばれた。


ペレット

・作り方
(1) 前処理 :原材料を細かく砕き、乾燥させる。
(2) 成形 :高温のまま、成形機に入れる。
 ところてんのように穴から押し出す
(3) 冷却 :熱を取る

・メリット 
 圧縮しているので、密度が高い。樹皮の場合、1/4の大きさに
 ある程度均一
 運搬しやすい

・日本最初の木質ペレットの製造
 昭和57年(1982年)に岩手県葛巻町の葛巻林業の工場で誕生。製紙用チップ製造工場として、製紙用の広葉樹丸太を買い付け、樹皮を剥がし、木の部分を製紙工場に販売していた企業です。
 オイルショックの後に、燃料として燃やすだけだった樹皮を、石油の代替品として利用することを目的に、アメリカからペレット製造技術を導入。但し、アメリカでも広葉樹の樹皮をペレットにしていたところは無かった。製品化に漕ぎ着けた後、ハウス栽培、プール、温泉など、小規模ボイラー利用だった。
 
・燃料以外の使い方
 平成13年(2001年)に花王が、「ニャンとも清潔トイレ」として、木質ペレットに撥水成分を混ぜた物を販売。木質ペレットの脱臭効果と自然素材感に着目。
 泥炭層の水苔であるピートモスは、蘭栽培の主流。しかし、多くはニュージーランドや中国からの輸入品。しかも、有限な資源。山形県にある最上蘭園では、木質ペレットを腐朽菌で腐らせて、シンビジュームやカトレアなどの着生蘭栽培の蘭培土に使用。

 

・和紙と洋紙(酸性紙)
 和紙の特徴は、繊維だけで紙を作るのが基本。洋紙の特徴は、色々な薬品を使用すること、これは、水性インキなどの滲みを防止するため。防止するのがサイズ剤。このサイズ剤は、定着剤として硫酸バンドを使用することから、酸性になるため、酸性紙と呼ばれた。酸性紙は、時間と共に繊維が傷つけられるため、ボロボロになり、長持ちしないため、洋紙100年、和紙1000年と呼ばれる由縁。今は、技術革新で中性紙化されている。

日本では、明治8年(1875年)から洋紙が生産され、大量生産で品質も良く、低価格であるため、和紙の生産量は減少している。
 和紙は、元々、楮で三椏は、江戸時代初期からの使用と言われている。610年に中国の曇徴が伝えたのは、麻からの紙。しかし、麻の繊維は長く、長いが故に絡みやすくて紙作りが大変であったため、奈良時代のうちに楮が採用され鵜ようになった。三椏は、明治初期にお札に利用されたことで、一気に全国に広がった一方、雁皮は、栽培技術が未だに無いため、江戸時代の紙需要の高まりで、楮栽培が奨励。杉との混植、アグロフォレストリー?として、栽培された。

 洋紙と和紙では、和紙は薄くてしなやかで強く、5~6倍強いと言われている。





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